先代園主と農園のあゆみ

藏光農園,先代

文・撮影 松本郁子(SAJI)


 当園の代表的な作物は「ゆらわせみかん」「ハッサク」「南高梅」。そのうち、ゆら早生みかんは、先代園主・藏光敏章がその味に感動し栽培を始めた温州みかんです。時代の移り変わりの中でさまざまな柑橘を育て続けてきた先代の農業のあゆみです。


期せずしてはじまった農夫人生
 先代は戦後間もない、昭和23年生まれです。大学を卒業し、一度は自動車販売会社のサラリーマンに。しかし親戚の藏光家に跡取りがなかったことから、27歳のときに養子に入ることになりました。藏光家の生業は農業。とつぜん仕事が変わることになった先代でしたが、それまで夏休みなどに藏光家で畑の手伝いをしたこともあり、「なんとか食べていけるやろう」と、あまり深く考えなかったそうです。


技術は目で盗む職人肌
 農園のどの木がどんな味のみかんをつけるか知り尽くしている先代。畑の中からおいしいみかんを選ばせたら右に出る人はいません。ですが、いきなり就農したので、当然最初からみかんの作り方を知っていたわけではありませんでした。先代曰く、「みかんとかそんなんは、人に教わるっていうよりも、技術を盗む」。聞くと、手入れのいい他の畑を見つけて通い、園主さんと顔見知りになっていろいろと見聞きしながら、自分の知識を蓄えていったそうです。

 みかんは品種によって収穫時期が違いますが、10月からとり始める早生種であれば、「8月のお盆を過ぎたら水やりをするな」と言われます。先代も、おいしいみかんをつくるには、「やっぱり水管理やな、一番は」と言います。
「(先代)でもねえ、水やり好きな人いてる。夏の暑い時に1週間もがんがんに日照りあったら、『木が弱ってしまう』とか言ってね。『水やったらあかんで~』って言うんやけどな、乾いてたらかわいそうに思うんやろな。木なんかね、土に埋えたら、根が四方八方へ広がるわけやない? ここ(表面の土)に水がなくても、こっち(根がのびた別の場所)には水ぎょうさんあることもいくらでもあるんやな。そしたらこの木は別に(表面の土が乾いていても)何にも影響受けへんわけや。水があんまり多いとね、根腐れをおこすから。ある程度、水がきれてるときがほしいわけやな。有田あたりに行ったら、段々畑でしょ? 水はけがいいんよ。自然に水が下りていくさかい」

「僕は草刈りが好きなんや」
 夏に向けて、畑の草はぐんぐん伸びだします。先代はそれを草刈り機で段取りよく、とても上手に刈り取ります。
「(先代)草があんまり生えてたら、みかんの木にはいいことないわなあ。肥料をまいても、草にやってるようなもんや。ほんまに言うたらね、除草剤やったらそれで済むんやけど、僕は草刈り機で草を刈る。バーッと刈って、あくる日畑の入り口まで行って、『おお、(刈り取った)草枯れてるな、ええ仕事したな』って思う(笑)。まあ、1週間もしたらもとに戻るんやけど、僕は草刈りが好きなんや」。
 刈り取った後の草は乾燥させ、土にかぶせると土の水分を調整してくれます(敷き藁。水分が過剰なときは草が吸い、日照りのときはカバーになって過度な乾燥を防ぐ)。草が適度に根を張り、草刈りで枯れることで土中に細かな隙ができ、水はけがよくなります。木はふかふかとした土の中で深く広く根をのばし、水分や養分を吸い上げて葉を繁らせ、太陽の光を受けて元気になります。そして、木がおいしい実をつけるように、農家は剪定や摘果をします。
「(先代)摘果せんかったら木が弱るんやな。とくにみかんはそうや。弱ったらかえって、(次の年)花がつくんや。死に花やけどな。実にならんと、木を弱らすだけで。すべてバランスよな。極端なことしたらあかんわなあ。草刈りだけはしすぎてもかまわんけど(笑)」。

酸っぱい夏みかんだけやと負ける
 藏光農園のみかん畑があるのは、日高川町の「松瀬(まつせ)」という地域。近隣はどこも農家で、先代が継いだ頃はその多くが夏みかんを栽培していました。しかし、夏みかんはとても酸っぱく、みんな砂糖をかけて食べていたほど。「あんな酸っぱいの、だんだん人気なくなってくるんよ。だから、それだけやと他の果物に負けてしまうやろうと思ってた」と先代。ちょうどその頃この地域に入ってきたのが、当時は新しい品種だった甘夏や八朔でした。それまでの夏みかんに比べたら格段に甘かった甘夏は人気が出て、多くの農家が栽培し、一時は「甘夏御殿」が建つほどだったそうです。
先代
今でも農園で育てている甘夏。きゅっとした甘酸っぱさは洋菓子の加工にも最適です。

 そして、その後に入ってきたのが温州みかんでした。温州みかんは和歌山の気候や土との相性がよく、古くから栽培されてきたみかんですが、この頃から松瀬でも盛んに栽培され、そのうち松瀬と「若野(わかの)」「天田(あまだ)」は、日高川町の中でもおいしいみかんがとれる産地として知られるようになりました。

いくつもの温州みかんを育てて
 温州みかんは品種が多く、収穫が早い順に「極早生(ごくわせ)」「早生」「中生(なかて)」「晩生(おくて)」に分類されます。一番早い極早生の収穫は9月半ばから。
「(先代)うちで植えてるのは極早生と早生。このへんは、あったかいから実の成長がはやいんや。中生とか晩生はここでは成長がはやすぎて、皮がぶくぶくに(皮が厚く実との間に隙間があるようなみかんに)なる。そういうみかんは、『ふく』って言う。静岡とかは、1月頃までとれる中生とか晩生みかんをつくるわなあ。ここらへんより寒いさかいに、ふかない。成長がそれだけゆっくりなんや。ちょうどいいんやなあ。このへんでは『宮川早生』とかね、みんなつくったんよ。とる時期、みかんの味、形、病気に強いかどうか。総合的に見たら、宮川が一番よかったんちゃうかなあ。それから極早生のいいのが出てきてね。どうしてかねえ、生産者は人より早く出荷したいって、負けてたまるかっちゅうもんよなあ(笑)。極早生の『日南』はわりと平べったいみかんで、僕は好きやね。爽やかやねんなあ。今の選果機は、甘い、酸っぱい、傷がある、ないくらいしか見分けをようせんさかい」。
 糖度や形だけでははかれない、それぞれの品種の個性。そんな中で先代がとくに気に入ったのが、ゆら早生みかんでした。

今までで一番おいしいみかん
 ある年、藏光家では近所の5~6軒の農家の手を借りて、畑にあるハウスのビニールはりをしていました。その作業がひと段落した休憩時間のこと。
ある農家さんが先代に、「いっぺんこれ食べてみな。おいしいぞ」と、まん丸いみかんを手渡しました。それが先代とゆら早生みかんとの出会い。ゆら早生みかんは、日高川町の北にある「由良町」で見つかった品種です。
「(先代)枝変わりって言ってねえ、1本の枝から芽がいくつか出るでしょ。その中で、この木ちょっと変わってんなあっていう枝が出てくるわけ。ゆら早生もね、みかん畑の中でたった一枝だけ、ちょっと変わったおいしいみかんとれるでってことで、接ぎ木して増やしていったみかんやな」。
 今まで食べたみかんで一番おいしい。これはいいみかんやなあ。そう思った先代はすぐに植え替えを決意し、苗を200本買いました。平成8年のことでした。

先代
農園のゆら早生の幼木。苗を植えてから3年ほどは、摘蕾(花芽を摘み取る作業)をして大きく育て、それから徐々に実をつけさせます。

ゆら早生みかんのここが好き
 以来、ゆら早生みかんを20数年つくり続け、それよりもおいしいみかんにまだ出会わないと言う先代。ゆら早生の魅力を聞くと、一番は十分な甘さで、それだけでなく酸もあり、しかも木によってその味のばらつきが少ないところ、だそうです。
「(先代)今までつくったみかんは、場所も、木によっても味に差ができてくるんやな。昔は10月に入ったら、みかんの木1本1本から実を1個ずつとって口入れて、『今年のできはええなあ』とか、『この木のみかんはおいしいなあ』とかやってた。ゆら早生はそれをせんでも、甘さから言ったら十分。それに、(農園での出荷は11月で終わるが)正月明けてからでも、おいしく食べられるんやな。早生はだいたい、年越したら味がいっぺんに落ちるんよ。でも、ゆら早生はそんなことない。味ボケがせんのや。1月くらいでも木の下のほうに、隠れるようになってるみかんがあるんよ。そんなんもおいしいなあ。それに、薄皮が薄いから、口当たりがええ。小さいから、2つ、3つって食べてくれるのも(つくり手として)いいね。欠点が一つだけあって、皮がむきにくい。ヘタのほうからむくと少しむきやすいけど。あれね、おいしいからむきにくいんであってね。水分が少ない(実がぱさついているのではなく、糖分が凝縮されて水っぽくないの意味)から、皮が実にくっつくんやな。あれがなんとかできたらええね。水でもやったら皮がむきやすくなるけど、糖度が1度くらい下がるな」。

小さくてもおいしいみかんを
 みかんは共同出荷すると選果機にかけられ、糖度が一個ずつ計測されていくつかの糖度ランクに選別されます。たとえば一番上のランクが11度5分以上と決まっているとすると、12度や13度でも同じランクになります。
「農家は味のいいみかんを作ろうと思ったらいくらでも作れるわな。1度違ったら、それは全然味が違う。でもあんまり味にこだわってばっかりだと収穫量が減るさかいな」と先代。
 みかんをおいしくつくるポイントのひとつは、前述の通り、水やりの塩梅。水やりを控えると味が凝縮されて糖度が上がり、実はあまり大きくなりません。逆に水をたくさんやると実が大きくなりやすいものの、糖度が下がり味も薄くなります。みかん1個のサイズが小さくなれば、収穫量も減ってしまいます(収穫量は重さではかる)。プロの農家であれば、一番上のランクに選別され、かつ収穫量が一番多くなるライン(糖度11度5分)で作れるというわけです。

 藏光農園のように小さい上、減農薬で皮が黒っぽい実はジュース用にしかならず、ぐんと値段が下がります。「一般的に甘い、皮の締まったみかんがMサイズくらいとしたらよ、2SやSみたいにちっさいみかんはほんまにあかん(生計が成り立たない)。でもやっぱり、みかんはおいしいほうがね。口に入れるもんやから、味が一番や」そう言って、値段がつかないのを承知で自分がおいしいと思うものを生産し続けてきました。現園主が就農した際にみかんのネット販売を始め、お客様の声が農園に届くようになったのですが、おいしいと言ってもらえたときの先代はとてもうれしそうで、やってきたことへの自信がついたようでした。

30年続けたカーネーション栽培
 時代は戻り、1900年代の終わり頃、みかん農家は厳しい時期を迎えていました。いくつかの要因がありますが、大きかったのはオレンジの輸入自由化。国産甘夏や八朔、みかんの価格が下がり、先代は「みかんだけではやっていけやんのちゃうか」と思ったそうです。そして、そのタイミングで行政の栽培用ハウス整備に対する補助政策が。
「(先代)みんな考えることも一緒ならすることも一緒で、この辺の農家もハウスでいろんなもの作るって。お米とか余ってきてる時代やったし、補助金って、そんなんみんな、利用するわなあ」。
 藏光農園もそれを機にハウスを建てて花き栽培を始めました。先代とゆら早生みかんが出会ったのは、このハウスのはり直しをしていたときです。

 ハウスで一番に作ったのはスターチス。他にはトルコ桔梗、バラ、そしてカーネーション。
「(先代)カーネーションは毎年10月に入ったら苗屋さんと、あくる年にどんなんを植えるか検討するんやけどね、秋の終わるまでに申し込まないと自分の気に入った苗は揃わないね。花も早生、中生、晩生ってあって、その中でもいろいろ種類があるさかい。色目が同じような花がいくつもあっても市場で嫌われるし。そんなんを計算して苗を決めて、6月の末頃に畑に植えるわけよ。植えたらちょうど真夏の暑い時でしょ。ハウスの換気もようせなあかんし、曇りの日もあれば日照りの日もあるから温度も管理せなあかん。そうやって大きくして、秋になったら切り始めるんやな。それが次の年の母の日まで続くんよ。路地栽培のみかんは雨ふってきたら『ああ今日は一日休めるなあ』ってこともあるけど、花でも野菜でも、ハウスでつくったらえらい(大変だ)なあ」。

 年明けすぐに花の市場が始まるので、お正月の休みも元旦の1日だけ。年に何度か趣味の登山(百名山にチャレンジしていました)に出かける以外、先代は休みなく働きました。そして今年2020年の5月、藏光農園ではカーネーションの栽培を終えました。
「まあ、そんなに楽してお金儲けはさせてくれんよ。ぼちぼちやっていけたらいいなあって。よう仕事した!(笑) さみしいことはないよ。30年もずっとやってたんで、ホッとするほうがね」
 そう話した先代の顔は晴れやかでした。

ゆらわせみかんとともに新しい時代へ
 おいしいみかんを人に食べてもらいたい一心でゆら早生を育ててきた先代。「働いてないとね」と、今も毎日、みかんや梅の畑ですごしています。もちろん草刈りも健在。カーネーションを栽培していたハウスには、新しい柑橘の苗を植える予定です。先代の心を継ぎ、日々新しい気持ちで畑と向き合いながら、農園は前に進んでいきます。


藏光農園,歴史

2020年6月